2016年4月、熊本県を中心に九州各県を襲った熊本大地震。
その爪痕は、家々や歴史的建造物、神社、寺院、墓地に至るまで、人々の暮らしと心に深く刻まれました。
そんな震災の現実と、ご供養に対する思い、そして熊本の皆さんの復興に向けたあくなき取組みについて徹底レポートしました。
熊本を襲ったM6.5、M7.3の大地震。
くらしが、景色が、文化遺産が一瞬で破壊された。
2016(平成28)年4月14日の夜にM6.5、最大震度7の地震が発生。翌々日の4月16日未明にはさらに激しいM7.3の地震が熊本県で観測された。
東京大学地震研究所によるとこの地震は「内陸の活断層で起きる地震としては国内最大級」であり、震度7以上の地震は観測史上九州初、国内においても、東日本大震災、阪神淡路大震災、新潟中越大震災に続く4例目、国内で観測された揺れの中でも最大の地震となった。
熊本県下ではその後1年間(2016年4月14日~2017年4月9日まで)に震度1以上の地震を実に4291回も観測。まさに大地の揺れに脅かされる一年となった。
熊本県下ではその後1年間(2016年4月14日~2017年4月9日まで)に震度1以上の地震を実に4291回も観測。まさに大地の揺れに脅かされる一年となった。
熊本城、阿蘇神社といった文化財にも深い爪あとを残した。熊本城では天守閣の屋根瓦が落下、石垣は各所で崩壊するなど被害は深刻で、現在復旧工事中だが、元の姿に戻るには20年以上かかると言われている。
市営墓地では墓地の約6割、10,300基が倒壊。
荒れ続けた大地が、墓地の風景を一変させた。
熊本地震では墓地も大きな被害を受けた。熊本市内7か所の市営墓地に建っている約1万8000基のうち約6割に当たる10300基の墓石が倒壊した。民間の共同墓地や寺院墓地も同様の現状で、熊本市には「隣の墓石が倒れてきているがどうすればいいのか」などの問い合わせも殺到したと言う。
墓だけではない。全壊した納骨堂もあり、納めてあった骨壷の多くが割れるなどの被害を受けた。
しかし、墓石の修復にまで手が回らないという被災者も少なくなく、また石材業者に修復依頼が殺到し、対応が出来ないケースも多く見られた。墓地全体がもとに戻るには今後数年はかかるとみられており、被災者が安心してお参りできるようになるにはしばらく時間がかかりそうだ。
また所在者不明で移動が出来ず、墓地の修復の障害となっている例もある。所有者不明の墓は墓地埋葬法により撤去が可能だが、その手続きには一年以上かかる。そのため、熊本県では災害時に所有者の同意を得なくても墓を移動できるよう条例の改正を検討しているという。
お墓が修復できなくても生活には困らないのではないか…と考える人もいるだろう。しかし、お墓の場合、単なる“物”とは違い、家族の繋がりや“家”の象徴的な役割も果たしている。家族のお墓を自分の一部のように感じ、壊れた墓を見て先祖に対する申し訳なさを感じたり、手を合わせる場所を失った喪失感を抱えている人も少なくない。
また遺骨はなんとか回収したものの墓を建て替える費用がなく、自宅に安置したままという人もいる。
「お墓も家も壊れ、遺骨を置く場所がない」という人に対し、骨壺を預かってくれるお寺や仮に建てられたプレハブの納骨堂にお骨を収容しているところもあるが、まだまだすべての遺骨を収容できるには至っていない。
復興に向けて動き出した熊本。
しかし墓地の復旧の道のりはまだまだ険しい。
被災地の墓地では現在も壊れたままのお墓が目立っている。熊本の墓地関係者によると「熊本県内で数十万基に被害が生じた可能性があるのでは」と推定されているが、修繕に至っていないケースも多い。
その一番の障壁となっているのはやはり「お金」の問題である。
お墓は全壊の場合は数百万円、半壊でも数十万円以上かかり、その負担は被災者の家計に大きくのしかかってくる。しかし、建物などと違って行政の補助がないため、墓の建て直しを諦めて納骨堂や樹木葬などに遺骨を移す(改葬する)人も少なくない。
故郷で暮らす皆さんの供養の悩みに応えたい。
「天空陵・家族墓」はそんな井上住職の思いから生まれた。
そんな状況に対して行政も動き始めた。
熊本地震で被災した共同墓地内の共有部分を元に戻すための復旧工事費に要する経費の一部を補助する「平成28年熊本地震にかかる地域コミュニティ施設等再建補助事業」において「共同墓地復旧支援事業」がスタート。しかし、補助は共有部分に限られており、個人の墓の損壊は対象とされていない。
そうした現状に困り果てた被災者から、金剛宝寺にも様々な悩みが寄せられていた。
「お墓の修復をしたいが、自宅の修復さえもめどがたたず、経済的に厳しい。」「被災しているので費用がないのに、修繕の見積を取ったら高くてとても払いきれない」「お寺や墓地関係者から倒れた墓の修復の催促をされている」「墓の近くに住んでいないので、このまま修復するか迷っている」などその多くが、「供養の大切さは分かっているのでお墓をなんとかしたい」と考えているにも関わらず、経済面などの問題に頭を抱えていた。
愛するふるさと・熊本の人々が、家族を奪われ、家を奪われ、さらにお墓の問題まで抱えて二重に苦しんでいる。そんな悩みを一つでも取り除いて差し上げたい。せめて供養のさまざまな問題だけでも解決し、地域の人々が安心して過ごせるように出来ないだろうか――
そんな思いのもと、金剛宝寺の井上住職は自治体や、石材店、さまざまな関係各社と協議を重ねていった。
その結果行きついた答えが、“地震の心配がなく、供養面も充実したすべてに安心できる安価なお墓”=「天空陵・家族墓」の誕生である。
「被災された方々の多くは経済的な余裕があまりなく、お墓の修復に費用をかけることが出来ないという方が少なくありません。しかも震災の記憶から、倒壊の心配がないようにしたいと考えられていました。そのため墓じまいを検討する方も増えていましたが、お骨の行き先に悩まれている方も多かったですね」と金剛宝寺の井上住職は語る。
「納骨堂でも被害を受けたところも少なくありませんでしたし、新規購入するとかなりまとまった費用が必要です。またお墓や納骨堂の後継者がいない人も増えており、永代供養のニーズも高まっています。そこで「価格が安価でお求めやすい」「永代供養で子孫に負担を残さない」さらに「ふるさとの象徴でもある阿蘇くじゅうの大地を借景にした樹木葬墓地」として、家族墓を誕生させたのです」
さらに熊本復興支援キャンペーンとして、ご購入額の一部を熊本復興支援の義援金として阿蘇神社に寄贈した。
つまり、お墓を購入することが、供養の課題を解決するだけでなく、熊本復興支援にもつながるというわけだ。
家族墓が誕生してからまだ日は浅いが、熊本県内全域から問い合わせが相次いでいる。しかも驚いたことに、福岡や長崎など熊本・大分以外からの問い合わせも少なくなく、井上住職は「被災者だけでなく、この時代を過ごす多くの人が求めているお墓」であることを実感していると言う。
熊本震災が残した爪痕はまだまだ熊本の各所に残されている。墓地もまたしかりだ。しかし、熊本の人々の心には先祖や供養を大切にする想いが今も色濃く生き、「お墓」が倒れてもその想いは変わることがない。
大事なことは「お墓」というカタチではなく、「お墓」をお参りする心、つまりご先祖や家族を大切に思う気持ちである。
熊本の人々がそれを忘れない限り、熊本にまた以前のような心やすらぐ景色が戻ることはそう遠い日のことではないだろう。
2017年には震災で大きな被害を受けた阿蘇神社に義援金を寄贈
“日本最強の城”熊本城
熊本城は、明治維新の西南戦争で、西郷隆盛率いる鹿児島軍の猛攻にも耐えぬいたことで知られる、「日本最強の城」との呼び声も高い城である。しかし、この天下の名城でさえも地震の猛威に抗うことは出来なかった。先の熊本大震災では城内13の重要文化財と20の復元建造物の全てが損壊。また熊本城というと「武者返し」と呼ばれる、堅牢かつ、反り返った美しい曲線の石垣が有名だが、その石垣も約50か所が崩れ、重要文化財の北十八間櫓や石垣なども崩壊し、いまだ無残な姿をそのままさらしている。
震災から1年を経た2017年4月よりようやく本格的な復旧工事が始まったが、全体の復旧には20年かかると見られ、市は総費用を634億円と試算している。
まさに「熊本の人々の精神的支柱」といっても過言ではない熊本城が崩壊したショックは計り知れないが、肥後っ子たちの熊本城に対する想いは、震災に負けることはない。「あのすばらしい姿をまた見たい」「復興に協力したい」という声が、熊本城復興を主導する熊本城総合事務所に続々と寄せられ、熊本城復元整備の基金や「Yahoo!ネット募金」など、様々な支援が熊本城の復興を支えている。復旧工事は現在も着々と進んでおり、観光客も着実に戻ってきている。
猛将・加藤清正が築き、明治維新後に勃発した西南戦争でも屈しなかった"日本最強の城"が、1日でも早く蘇り、世界の人々を魅了する日を期待してやまない。